ラ・コルメナ移住史概要

1936年、パラグアイ最初の移住地へ


 南米の心臓ともいわれる南米パラグアイ共和国。

 1936年、この地に日本からの移住者が足を踏み入れた。

 

 それから80と余年。

 種々の困難を乗り越え、現在は300人あまりの日系人が、パラグアイ人と共にラ・コルメナに暮らしている。

 

  コルメナの移住者達は、第二次世界大戦や戦前戦後の革命、蝗害と、他の移住地にはなかった様々な障害と格闘し、また生存戦略としてパラグアイ人との融和を目指してきた。

 

 当項目群では、特に移住初期から戦後10年間ほどの時期、すなわち、もっともラ・コルメナを強く特徴付ける出来事と関係の深い時期に焦点を当て、ラ・コルメナ、そしてパラグアイ全体の日本人移住の黎明期を概観していくことにする。

 

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・移住決定までの経緯

日本からの移住者来植

入植初期の生活

先住していたパラグアイ人

パ・日 国交断絶

干渉官制度の開始

終戦と日本語学校没収

戦時中の入植者の生活

敗戦・戦後干渉の継続

戦前からの危険要素の悪化

退植者の一斉増加

■1948

農協の設立

・前身となった諸共同活動

・第1次農協設立運動

・第2次農協設立活動

・ラ・コルメナ農協創立総会


■1948~

農協の発展

・発展の概観

・導入作物・販売所

・現状

■1956(7)~

文協の設立・発展

・設立までの背景:戦前

・設立までの背景:戦後

・コルメナ文化協会の設立

・パラグアイ日本文化協会へ

・現在のラ・コルメナ概観

・文化統合の地として




備考:

(※)二歩制限法

 1934年5月23日、ブラジルにおいて可決された外国人移住の制限法。在留外国人の2%を毎年の新規移住者数の限界と定めるもの。詳しくは下記。 

 「二歩制限案遂に通過」 『伯剌西爾時報』号外 昭和9年5月24日 <楡木久一関係資料 27>