南米の心臓ともいわれる南米パラグアイ共和国。
1936年、この地に日本からの移住者が足を踏み入れた。
それから80と余年。
種々の困難を乗り越え、現在は300人あまりの日系人が、パラグアイ人と共にラ・コルメナに暮らしている。
コルメナの移住者達は、第二次世界大戦や戦前戦後の革命、蝗害と、他の移住地にはなかった様々な障害と格闘し、また生存戦略としてパラグアイ人との融和を目指してきた。
当項目群では、特に移住初期から戦後10年間ほどの時期、すなわち、もっともラ・コルメナを強く特徴付ける出来事と関係の深い時期に焦点を当て、ラ・コルメナ、そしてパラグアイ全体の日本人移住の黎明期を概観していくことにする。
備考:
(※)二歩制限法
1934年5月23日、ブラジルにおいて可決された外国人移住の制限法。在留外国人の2%を毎年の新規移住者数の限界と定めるもの。詳しくは下記。